私は 、大阪からIターンして、 山の仕事を約20年ほどしただけの林業従事者です。
私のささやかな体験や個人の思いを綴った文章です。
その点をご理解いただき、 お読みくださるようお願いいたします。

原稿/萩原 茂男

 

虫が減って鹿が増えた

私が山仕事をしている間にも、山(=森林)の様子はどんどん変わっていきました。 その一つが鹿です。
山仕事を始めた1997年ごろは、山で鹿を見るのは、年に1〜2回ほどでした。それが2000年頃には、週に一回ほど見るようになり、数年後には毎日のように鹿に出会いました。
時には、十数頭の群れに出会う時もありました。 今では皆さんも、ご存知の状況です。

 

日本は、人工林の国だった

山を見てください。
山の半分近くが、濃い緑の木が密集して生えているでしょう。 スギやヒノキの人工林です。
1945年ごろから始まった拡大造林政策により、全国でスギ・ヒノキの人工林化が進みました。 日本は国土の約70%が森林で、そのうちの約40%が針葉樹の人工林らしいです。日本は人工林大国でもあるのです。
でも、ちょっと植え過ぎたのかもしれません。その結果しっかりと管理されないままの人工林が増えてしまいました。

 

森の生態系が変化した兆し

間伐(木の成長に合わせて間引きする作業)が遅れて、日光が林内に入らなくなるほど密集した林が増えて、下草が生えない林が増えてしまったのです。
追い打ちをかけるように増えた鹿がたくさんの下草を食べ尽くしていきました。
その結果、森の生態系のバランスが大きく崩れていったのです。そのことを「森に虫が減ったようだ」と森で暮らしてきたお爺さんはいち早く感じていたのです。熊が里に降りてきて、いろんなトラブルや悲劇を引き起こしています。
これも、森の生態系がバランスを崩してしまったのが原因かと思います。
人は、経済効果を考えて人工林を増やしました。建築木材の需要を見越して広葉樹林を切り開いて針葉樹林にしていきました。たくさんの人工林を造林することは、経済的に豊かになるためです。その計画ではちょうど今頃、山村は経済的に豊かな地域になっていたはずでした。 林業は山村の経済基盤として成り立っているはずでした。
ところが、現実は生態系のバランスを崩し、山村を過疎化して、山崩れや川の氾濫などの自然災害をもたらしてしまっているのです。

でも、私は思います。人には反省し学ぶ謙虚さがあります。知恵があります。自然の奥深い仕組みを観察し、試行錯誤を試みる信念とそれをやり抜く忍耐と根気を持っていると思います。

 

混合林を作ってみたい!

その一つの成果として今注目されているのが、針葉樹林(スギ・ヒノキの人工林)と広葉樹林の混交林化です。
その先駆的とも言える書籍が、清和研二著「スギと広葉樹の混交林 蘇る生態系サービス」 です。

私は、偶然2022年の11月にこの本と出会いました。一読して深い感銘と共感を覚えました。ぜひとも、何とかどんなにささやかでも実際に混交林を作りたいと思いました。
2023年の春から活動を始めました。最初が場所の設定です。幸いにも、土地所有者の理解を得て、NPO法人森林楽校・森んこが活動拠点としているおおい町名田庄納田終老左近の裏山を使わさせてもらうことができました。0.5haのヒノキの人工林です。
まずは、林内の調査をしました。ヒノキ一本一本を調査しました。
胸高直径・樹高・枝打ち高・欠損(熊や鹿の被害がないか・樹皮に傷は見られないか・曲がりがないかなどなど)の有無を調査しました。
結果、312本のヒノキがあり、樹齢は35年・平均胸高直径24.75cm・平均樹高15.5m・枝打ち高4mでした。
間伐施行は、約10年遅れと思われました。
ほとんどの木々が隣木と枝重なりしていて、林内は日光が入りにくく、下層植生はほとんど見られない林況でした。
しかし、欠損木などはあまり見られませんでした。年輪も綺麗で予想していたよりも良質なヒノキだといえます。

 

次世代と共に未来の森へ

調査に並行して作業道(杣道)も作りました。結構急峻な地形なので、階段も作りました。この調査と道作りに結構時間がかかりました。これらの作業には、福井県立大学の学生さんたちが応援してくれました。なれない斜面の現場で汗を流してくれました。ありがたいことです。
年が明けて2024年の春、ようやく尾根の方の場所を選んで、約4割の間伐を行い、ヤマザクラ・ミズキ・カエデの広葉樹を植えました。
記念すべき小さな小さな第一歩です。
あとは、根気良くこの活動を続けていくだけです。
成果や結果が出るのは、数十年先です。
その頃は、私はこの世にはいません。次の世代には、生態系の豊かな、そして人の社会に潤いと経済的な豊かさを与えてくれる森になっていることを祈るだけです。